片恋の終わり。

2006年2月7日
大阪府は今週の金土が私立高校の入試です。
近所の大学の院試は今、口頭試問してます。
公立高校は来月の15日です。
ぜんぶいっぺんにさっさとおわってほしい…いきぐるし…。
いやいや。
がんばれ。(きりきり)←胃

ここらへんの私立中学は1月末に結果がでました。
制服の採寸に行かなくて、入学金まで納めていたのに入学辞退とみなされた方がいらして、電話口で恐慌状態に陥っていらっしゃいました。
お金を払ったのだから採寸ぐらい、とか。忘れていただけなんだ、とか。
取り乱す気持ちはとってもとってもわかるんだけれど。
結局駄目で、第二志望の合格中学の方へ慌てて手続きに行かれました。

世の中には期日とか決まりとかいうものがあって、そこを過ぎたりはみ出たりしたら、泣いても喚いても、もうどうにもならないのだということを、楽観的にとらえている方もいらっしゃるようだと、ちょっと思います。
失敗してしまったから、できるだけのことはして挽回しようという心意気は素晴らしいと思います。
しかし期日や決まりを定めた側からすれば、たとえば人情に訴えられたりしても、でも…許してはいけないことってありますよね。許せないことって。
でなければ、そもそもなんのためのものなのかがわからないと思うのです。守らなくてもいいものなら、最初から作らないと思います。だから破ったら駄目なのです。もし破ったらそれなりの罰とかつぐないがいる筈なんです。そして頻繁に破っていれば、たくさん失われていくのではないでしょうか。お金とか信頼とかが。
あと、愛とか?
この論法は間違っているのかな。
大勢が一つのことをするときに、また一人で行うときにでも、何かを明確に決めておかなければ、他の人に迷惑がかかったり、結局うまくいかなかったりするのではないのかなと思うのです。
もちろん、誰かの裁量でどうにかなるものならば、そこは臨機応変に行ってくれたら嬉しいとも思います。
いっしょにがんばったらなんとかなるから、がんばろうよ、とか。
ごめん、寝坊した、待ち合わせ1時にのばして下さい、とか。
なんかそんなんだったら(え)。
でも、基本的には、期日や決まりというのは動かないものだと思います。
基本的に動くものだとは思わない方がいいのではないかなあ。

いっしょうけんめいやっていても、空回ってしまったり、なかなか伝わらなかったりして、なんでかなあと悩んだり、相手を逆恨みしたりする私なので、縋るものが「期日」とか「規則」しかなくて、そんな風に思うだけなんでしょうけど。
必死に泳いでいて、それにつかまっているので、それを取り上げられると、とても困るのです。
でも、みんながすきなときにすきなことをするだけの世界なんて、いやだなあとも思うのです。
やりたくないことでも、やらなきゃならないことがあって、それをこなしているから、「あれやりたいなー」て思っても、嬉しいのじゃないかな、と。
「すきなことだけしている方が嬉しいに決まっている」という人には、ばかじゃないの、と思われて終わりだと知っているけれど。
わたしも、ホントは、自分のすきなことだけして生きてたいですし。毎日遊んで暮らせたらどんなに楽しいでしょう。
それが誰にも迷惑掛けず、誰をも不快にさせず、規則を破らないのならば、迷わずそうします。
自分にその力があればなあ、と思います。

囲碁棋士・藤沢秀行の奥様、藤沢モトさんの著作『勝負師の妻』(角川書店、新書)を読みました。
秀行先生という人は、もう、夫として、人間として、最低です。
飲んで暴れるは、借金しまくるは、外に女の人と子どもがたくさんなのはともかく、全部モトさんに世話させるし。
絵に描いたようなサイテイ男です。
わたしが一番許せないと思ったのは、モトさんはお花に興味を持つようになって、学校へ行って先生のお免状をとって、おうちで教室を開いて、それがとても楽しい時間だったらしいのです。
この学校へ行くのでも、決して「花?優雅なことねェ」とかいう感じではないのですよ。
それでも好きだったので、一念発起して、教えることもできるお免状をとったのです。すごいなあ。
秀行先生は、それがとても気に入らないらしくて、すごく罵るし、邪魔をするのです。お弟子さんがいるところへ泥酔して乱入したりするのです。
もともと、モトさんが内職しているのを見つかると、モトさんの分析によれば経済力をつけられるのが怖いからなのだそうですが、とても邪魔をしていたのですが、お花もすごく邪魔をするのです。
「くだらねぇ。おまえなんかに何がわかる!」とか云うんだよ。
モトさんは、「ええ、わかりません!一生勉強していくだけです!」とか返すんだけど、私はすっごく腹が立ちました。
しかし秀行先生の一番最低なところは、棋士として超一流だという点です。
超ですよ。
超!ちょういちりゅう!

ちょういちりゅうでもこんなことはしない方がいいですけど。
ちょういちりゅうになれない人は、なおさら、こういうことをしてはいけないと思いました。
だって、そんなのただの最低人間で終わりなんだもの。
寂しいじゃないですか。
…さみしくないですか。

今日は、正論を吐く人を見て、わたし正論だいすきですが、出てきた口が口だったので、思わず反吐が出るかと思いました。
わたし、自分は正論とかだいすきで、当たり前のことしか云わないししない、常識人だと思うのですが、あんまりわたしが生きている範囲ではそれが通用しないので、ちょっと自信がなくって、「私は非常識なんだ」と鏡に向かっていい聞かせて暮らしています。
わたしが当たり前だと思い込んでいることは、実は当たり前じゃないので、怒ったりしたらだめだよ。がっかりする必要はないのよ、と。
でも心の片隅では、こっそり、「わたし常識的だわ」と思うのを止められません。

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