顔を上げもしない。一瞥もくれない。
 いささかショックを受ける。
 ホルサーは寝台に上がりこんだまま、シーフォートを出迎えもしなかった。軽んじられたと怒りがこみ上げることはなかった。軽蔑されているのだと思った瞬間、心臓に何かが突き刺さる。思わず胸を押さえた。呼吸が止まってしまう。ハッチをまたいだだけで足がすくんで、それ以上進めなくなった。
 そっと、息を吸う。そして大きく吐き出す。意識しなければ呼吸すらままならない。不甲斐無い自分が心底嫌になる。吐息が、静かな室内に思いのほか大きく響いた時、身じろぎもしなかったホルサーの肩が揺れたのは、きっと、艦長に値しない男をひっそりと笑ったのに違いない。
 法規は唯一、士官の金科玉条。だから、それに縛られそれに従った自分の選択を、間違ったものだとは今でも考えていない。どれほど馬鹿げた決定に見えようとも、法規に目を瞑ってなされたそれよりは絶対にいい。法規に背を向けるのは、神に背信することだった。
「…わたしは、間違っていたとは思わない」
 声に出すとまた、ホルサーの肩が動く。うつむいて、シーフォートから顔を背けて、あの男は嘲っているのだ。
 それとも、哀れんでいる。法規を盾に、まんまと艦長の椅子を手に入れた愚かなわたしを。
 心臓の真上を押さえた掌の裏側で、シーフォートは自分を疑った。間違えたとは思わない。思ってはいけない。しかし、一片の邪心もなかったのかと問われたら、きっと言葉に詰まる。ふさわしくないと知っていながら愚かにも、欲した。だからチャンスを逃さなかったのだろうと詰られれば、後ろめたさに満たされて何も云えなくなるだろう。確かに欲しかった。艦橋の中心、革張りの椅子。純白の正装。すべての決定を下せる、厳かな声。艦内の隅々にまでいき渡った自分の意思。
 わたしの艦、わたしのクルー。
 艦載コンピュータの異常なんて、普通じゃない。もしもそれが、たった一滴でもなかったとは云えない邪な願いを見抜いた神の罰なのだとしたら、そもそものことだとて、すべて自分を懲らしめるためになされたのかもしれなかった。
 そんな考えはかえって神を冒涜するものだと知っている。それでも走り始めた思考は、止まってくれない。
「きみはリッキーの勉強の邪魔をしたぞ…」
 なんの考えもなく唇がそう紡いで、舌打ちしたくなる。これは牽制だ。―――ヴァクス、きみに真正面から問われたら。
 ホルサーの顔がのろのろとシーフォートを向いた。
「きみの当直シフトはもう随分と前に始まっているだろう? 何を…」
 そこで声を飲んだずるい自分に吐き気がした。ホルサーに批難される前に、あなたの決定は誤りだらけだと指摘される前に。
 何を考えて任務をさぼったのかと、訊けない。シーフォートに対する抗議だと、この男は答えるだろう。任務放棄は重罪だった。シーフォートにその気があれば、略式軍事裁判の後に吊るすことすら可能だった。だから命を掛けた抗議なのだ。
 私はあなたを認めない。
 ホルサーの口からそんなセリフを聞きたくないがためだけに、先制攻撃を仕掛けている。ずるい自分に吐き気がした。
「サー」
 思い詰めて呼ばれたのを、緩やかな笑顔で受け止めて、「いいんだ」と甘く囁いた自分を殴り飛ばしてやりたかった。
「サー!」
「いいんだ、ヴァクス…」
 穏やかに、首を横に振る。何もかもわかっているからとでも云いたげに。
 誤った寛大さでホルサーの正義感を買おうとする卑しい心根が、ことさら自分らしく思え、今立つ位置にはひどく不似合いに思えて、惨めさに打ちのめされて、シーフォートは唇を噛んだ。

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自虐的に鬱々と穴を掘って沈んでいく艦長がとても好きなため、書き始めるとやってしまうのだけれども、これは話の本筋とは全然関係がない。と、思う。
あの人は泣き顔が一番すてき。
うじうじぐちぐち自分をののしっているシーフォートって、とってもとってもかわいくないですか?
メモ帳いっぱい使って延々人生を後悔しつつ膝を抱えている艦長の小説があったら、アタシ、とても読みたいな。
「いつぶち切れるんだろう(わくわく)」「誰が浮上させてくれるのかしら(どきどき)」みたいな楽しみ方もできると思う。
ともあれ、これは書いたらこうなったのでしょうがないのですが、道を間違えた気がしますので、ちょっと軌道修正をこころみます。ので、ここでやめておこう。でないと延々穴を掘ってしまう(笑)。
3回目で天井にらんでるホルサーさんの所へ艦長が怒鳴り込んできて、ホルサー氏が逆切れして、艦長がしゅんとなっちゃって、ホルサーさんが冷静になって、最後にほのぼのして終わる予定だったんだけれど。
と、いうことは、すでに2回目で道を間違えているんですね。うはー。
そもそも、小さなことにこだわって、とんでもないことやらかしちゃったわね、ホルサーさん。
でも、あなたってそういう人よね…。
なんか日記って、反省会ができていいね(笑)。

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