本当は、ため息をつきたいのではないだろうか。
 腹の底にわだかまるもやもやを、そんな風に吐き出してしまえればいいのにと思いながら、ヴァクス・ホルサーは身じろぎひとつしなかった。
 ため息でもつけば、やりすごせるのかもしれない。本当は、本当は―――。
 ため息をつきたいのは『彼』の方ではないのだろうか。
 いなびかりのようにそれがひらめいた瞬間、ホルサーはびくりと震えた。とっくに考えていたことではあっても、改めて浮かべば恐ろしくてたまらない。
 もう随分と寝台に寝転がって、ただ天井をにらみ付けている。頭の後ろで組んでいた腕を解いた。身を起こし、シーツに胡坐をかく。深い吐息がもれた。
『続けろ』
 言葉に添えられた淡いほほ笑みは失望に似ていて、思い返すたび幾度でも、ホルサーの胸を容赦なく切り裂く。違うんです、と叫びだしたかった。が、状況は、気にするなとでも云いたげなシーフォートの白い掌で、軽く払いのけられたまさにそれだったのだ。何も違わない。何を云ってもそれは言い訳にすぎない。俺は過失を犯し、彼はそれを諦めた。だから猛烈な羞恥と後悔で青ざめたまま、うつむいてその時をやり過ごすしかなかったのだ。
 二度も。
 一度目はともかく、二度目はたまらなかった。自分が嫌でたまらず、シーフォートが憎らしくてたまらなかった。シーフォートの意図を突き詰めていけば、―――怖くてたまらなかった。
 俺にため息をつく権利はない。
「………」
 それでも一度もれ出してしまったから、続けて出てくる憂鬱な吐息を止める術がなかった。
「………」
 今度は背を丸めて惨めに座るまま、やはり、身動きがとれなくなる。本当のところ、彼は俺のことをどう考えているのだろうかと思った。なんだと思っているのだろう。どう感じているのだろうか。
「………」
 四度目の情けない吐息が候補生室の空気をふるわせた時、控えめにハッチをノックする音が耳を打つ。続けて聞こえた声に、ホルサーは身を強張らせた。
「シーフォートだ。入室の許可を求める」
 艦長と云えども、勝手に士官候補生室に足を踏み入れることはできない。ならばこのまま無視していれば、法規に頑迷なほどに忠実な、融通の利かないシーフォートのことだ。ハッチの前に立ち尽くしてそのまま仕舞いになるのではないかとちらり、思う。
「…ヴァクス?」
 髪に指を突っ込んで乱暴にかき混ぜ、ホルサーは自分を、馬鹿者だと思った。大馬鹿野郎だ。慣習や常識を蹴り飛ばして軍艦ひとつ、たったひとりで見事に飛ばせているあの男にそんなものが通じてたまるか。
 それに、これは自ら望んだ事態だった。ならばここでシーフォートを避けて寝台の上に身を縮めていても、どうにもならない。立ち上がって、ハッチ際まで艦長を迎えに出て行くべきだった。
「ヴァクス」
「どうぞ」
 わかっていても動かない足を嫌悪する。髪を握り締めて小刻みに震え出した臆病な指先を、呪う。声はゆがんでいなかっただろうか。わざわざ訪ねて来た艦長に素っ気無い返答ひと言。候補生ごときにこんな扱いをされて、彼はどう思ったろう。
 どう思っているのですか、何を考えているんです、サー、シーフォート艦長、俺は、自分が嫌でたまらない。そして、あなたがおそろしくてならない。
「…入るぞ」
 ハッチが開いて、ためらいがちな声がかかる。もしもその顔がまた、あんな表情を浮かべていたら―――。
 一昨日の艦橋がありありと浮かび、ホルサーは身震いした。泣き出しそうだ。くだらないことを。なんだって云うんだ。仕方がなかったんだ。誰にだって失敗することはある。
「…イエス・サー」
 何をこれほど恐れることがあるのかと胸の内、必死で呟きながら、それでもホルサーは動けなかった。か細い返答をしないようにするだけで精一杯だった。

######

えーと。
こだわりって、つまんないところに生まれるものですよね。
他人には。本人には、とってもとっても重大事なんだから!

コメント