哀しみの息の根を。

2005年4月20日
世の中が動いているー。

小学校の先生が学校で自殺した事件、ショッキングでした。
公立学校教諭の鬱病患者が、とてつもない勢いで増えているそうです。先生の仕事への不満アンケートを、一般企業の人のと比べると、「スキルが生かせない」という項目は下回るくらいなのに(これは当たり前だと思った)、人間関係のストレス、時間外労働での疲労などが非常に上回るのだそうです。
社会的に『先生』という地位が低く見られがちになってはいますが、それでも地域社会の中で、『先生』という立場に見られる教諭の方々は、職場でも仕事引けてからも、精神の休まる暇がないのですって。
NHKのお昼の番組でかじった知識。
ニュースの小学校教諭は、新任で4月着任、まだひと月も勤めていないのに、本当に自殺で、本当に個人トラブルがなかったのだとしたら、どうしたのかなあと思いました。
大村はまさんも亡くなったんですね。
…しかし私、はまさんの教育法は古いと思う…。戦後に子ども集めて教えたところ皆熱心だったという事実を元に、「子どもは本来学びたい生き物である」という結論を出すのはどうだろう。それってアタシの「エイリアンが攻めてきたら人類皆兄弟説」と違わない気がする…。
や。あの。時代に合ったアレがね。必要だよねって話です。当時は最先端のものでも時代が進むにつれて研究が深まり、違ってくる理論ってあるではないですか。

わたしは子どもが怖くてどうにも好きじゃないので(基本的に特定個人が嫌いなのですが、稀に集団が怖いのでひとくくり)、子どもの敵なので辛く見るのですけど、この前お友達と会った時に、「でも今の子も学校に行ったら包丁持った変質者が乱入してきたりして大変だ」と云われ、ナルホドーと思ったりしたのです。
でもわたしは先生って現代の宗教的戦士って感じがして今時アナタ、自ら進んで先生なんかになろうだなんてなんてスバラシイの!!
という先生の味方なので、全国の先生、頑張ってください(大学教授除く)(なんかアレは教育者じゃない)。
教職とってる知人のいい加減な態度に絶望して、学校ではマトモな教育なんかできないと思ったという人の話を聞いたので、ちょっぴり切ない気持ちもあるけれども。『先生』なんて生半な覚悟でつとまるものではないように思うので、だからこそ現職の先生に頑張って欲しいと思う。未来の先生にもエールを送りたいと思う。
…でも圧倒的に心を病んで辞めていく先生の話を聞くことの方が多いため、子どもがきらいです…怖いです…。
最近の感慨でした。

新法王決定のニュースに、胸がときめきます。
これはミーハー的に。

伊丹はアレです。
わたしは伊丹が好きなんですが、伊丹はわたしが思うほどにわたしのことを好きではないのですよ(笑)。
そういう古傷であって、別に地雷ではありませんのことよv

そうだ!
京都行こう!!(ごおおおお)←熱意

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