ねたばれ。
早月における「ねたばれ」とは、ミステリの場合、犯人もトリックも全部ばらしてしまうことを指す。
だって、そこが一番面白いから触れずにしゃべれない…。

(M・ディブディン著 日暮雅通訳/河出文庫/2004.2.10)
裏表紙紹介文「『ホームズはなぜ、切り裂きジャックについてまったく言及していないのか?』――ホームズ物語の中でも最大級の疑問に、ひとつの解釈を与えたホームズ・パロディ界の名著、待望の邦訳。英推理作家協会賞を受賞したイギリスを代表する現役人気作家が、ホームズ研究者や批評家の間に強烈な反応を引き起こした問題作。『読者に対してこんな結果が許されるのだろうか?』」

21世紀に生きるわたしたちは、アンチ・ヒーローとかパロディ・パスティーシュ(なんでもアリ)とかに慣れているので、たとえホームズが多重人格だろうと犯罪者だろうと、実は犯人だろうと、あんまりショッキングだとは思わないと思われる。
でも生粋のシャーロッキアンにはショックなのかも。わたしは面白かったけど。
石岡くんは最高むかつくんですが(島田荘司の御手洗シリーズのワトスン)、元祖ワトスンは割かし好きだったりする。ローリー・キングのラッセル・シリーズのジョンおじさまにラッセルが抱いた思いが適切かと思われる。
要するに、ホームズはみんなが好きなので、ワトスンには嫉妬の思いを抱くわけだよ。石岡くんにはそれだ。あんなにどんくさいのに御手洗さんに愛されてるのがゆるせない!というやつだ。
しかし元祖ワトスンは、そんなジェラシーの嵐さえ涼しく通過させてしまう「善良」のカタマリなのです。善良やら無垢やら、世のありとある「よきもの」は、一見、「おろかさ」と見紛われることがあるのです。そんで、それは似て非なるものなのだと知っていても、頭が切れる人々には苛立ちをもたらさずにはいられないでしょう。
なんだかよくわからなくなってきました。
推理劇というよりは心理劇でありましたのことよ。決着として、ホームズは「悪」に打ち勝っておりましたので、読者は満足であります。
あの状況でたとえホームズがワトスンを切り刻んじゃったとしても、読者的には、あいつジャックだから!錯乱モリアーティだから!
とかって逃げられるような気もしないではない。
一人称の罠であるね。

ホームズ・パスティーシュは、やっぱりワトスンの一人称に限るね。
あ、でもわたし、マイクロフト兄様が好きなので、兄様のお話が読みたいな。
あまり見たことありませんが。
マイクロフトは物理的に正しい美食家なのですが、猛禽の眼光・長身シャーロックの兄であるからには、それなりに見た目も素敵だと思われる。
てか素敵。
絶対。

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