ホルサーの着席を見届けるやいなや、口火を切ったのは軍医だった。
「船客委員会は私たちによる艦の運営を望んでいますが、それは貴方の考慮するところではありません。貴方は自分で<ハイバーニア>の指揮をとることを望みますか。それとも、」
 ホルサーは仰天し、慌てて軍医を遮った。
「エクスキューズ・ミー、マァム。望み? 私の望みですか? 何故そんなことを私に訊ねるんです?」
 軍医は深い吐息で唇を閉ざし、機関長が後を継いだ。
「途方に暮れているからだよ、ヴァクス」
「途方に…失礼、なんですって?!」
 ホルサーは思わず叫び、ぽかんと口を開けた。大人たちの話し合いに間違って紛れ込んだ子どもになったような気がした。しかし、当の大人たちはうなだれ気味にホルサーの視線を避けているのだった。なんだこれはと思った途端、口をついて出てきたのは彼の名だった。
「シーフォートはどうしたのですか。彼は不服従により職務を停止されたと聞きました」
「誰が彼の職務に口出しできると云うんだ、ヴァクス。我々は彼との話し合いで、現時点での本艦の最高指揮官が誰なのかの認識を改めたところだ。彼は自主的に自分の身柄を営倉へ運んだにすぎない」
「では、不服従とは指揮権の放棄のことですか。あなた方は彼に本艦の指揮をとれと命令…?」
 できる筈がない、そんな命令。それを下すことができるのは前任の艦長だけだ。さもなければ遠い太陽系の司令部。
 ではシーフォートが自ら営倉入りし、自ら見張りを立てろと要求したと云うのはなんだろうと思う。ホルサーは混乱し、言葉を切った。軍医が同情するようなまなざしを向けてくる。
「ニックは自分で自分を解任することはできないからと、私に虚偽のサインを求めました。マルストロム艦長の口頭による、貴方の宙尉任官命令を聞いたことをログに記載せよと。私はそれを口にすることを彼に禁じていました。命令違反というのは」
「結構です、もう結構だ、わかりました…」
 ホルサーは掌を上げて軍医を止め、顔を伏せた。何故彼はそこまでしてと思うと、ひどく惨めな気持ちになった。本気でシーフォートを憎らしく思う。慰めを含んだ軍医の申し訳なさそうな顔が、一層憎悪に油を注いだ。
 医療室のベッドに横たわり、恍惚とシーフォートを「わが息子」と呼んだ男の姿が、目の前をちかちかと点滅する。頭から爪先まで憎しみで一杯になったが、矛先は徐々にシーフォートから逸れた。あの時、ヒステリックに感傷に溺れた軍医の甲高い声が、シーフォートの嘆願を拒んだのではなかったか。責任を果たせなかった艦長の平安とプライバシーを尊重してやった機関長は、情けを知る人格者と感じられた。「おれといっしょにいてくれるか?」――――状況を一人正しく絶望したシーフォートが求めたそれを、子どもっぽい嫉妬心と怒りではねつけて溜飲を下げた愚かな男は自分ではなかったか。
 結果今、皆が途方に暮れているのだ。
 死せる者は、幸いなるかな…。ハーヴェイ・マルストロム、俺は貴方の優柔不断を呪う。俺を嫌って彼を愛した個人的感情のままで構わなかったのだ。どちらでもいい。決定だけ下して死んだのなら、誰もがその命令に従ったのに。
 頭がガンガンする。ホルサーは低い声で確かめた。
「貴女はそれを拒絶したのですね、ドク?」
「当然です」
 軍医は怒った顔をした。が、ホルサーはもっと真剣に腹を立てていたので、彼女の感情が気に触った。
「そしてあなた方は彼に何を云ったのですか?」
「それは…」
 軍医は口ごもる。視線を泳がせる。
「ヴァクス」
 宥めるような呼び掛けは操艦士のものだった。彼らはあまりに卑怯じゃないかと思った。ホルサーは三人を睨み据えた。
「我々は――――候補生は皆、士官委員会よりも現実的だったと思います。こうなる可能性をあなた方よりも早く予感していた。誰よりミスタ・シーフォートが真っ先にだ。機関長、あなた方は現時点での本艦の最高指揮官が誰なのかの認識を新たにしたと云いましたね。法規に則れば彼以外には居ないということは、誰もが知っているわけだ」
「だからニックに賭けろと云うの、ヴァクス?! 彼は自ら能力不足を認めたのよ!」
 女性特有の金切り声で叫ばれる批難を苦々しく聞いた。
「それも知っています。だからこそ彼は必死に回避しようとしたのだし、私は彼に指揮権をあなた方に委ねろと促しさえしました。…どうしても承服しかねることがあるのは貴女が御自分でよくご存知でしょう、ウブルー先生」
 軍医は黙り込み、涙ぐんだ。酷いことを云ったとは思わなかった。自らの魂へのリスクは避け、シーフォートへはそれを強いたのだ。そして今度はホルサーに預けようとした。卑怯だと思った。
「私に指揮をとらせたければログにサインなさい。船客委員会の要請に従うのもいいでしょう。私は宣誓に従うだけです」
「船客の命を危険に晒すことになろうと、きみはそうすると云うのかね、ヴァクス」
 ホルサーはほほ笑んだ。
「馬鹿馬鹿しいことなのかもしれません。人道的見地からすれば、許し難い行いなのかもしれない。それでも譲れないものがありますね、機関長。貴方はログに虚偽の記載をしてでも人命を救いますか。それで誰かを助けることのできる自分だと考えますか」
 機関長は奇妙に澄んだ目でホルサーを見た。ホルサーは席を立った。
「本当はそうすべきですね。私にはできません。私はただの士官候補生に過ぎません。直属の上官の命令に従います」
「何処へ…」
 操艦士の間抜けな呟きは黙殺された。

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……アレ???
なんかね、アタシね、「営倉」って藁が敷き詰めてあるような気がしたの。それは「納屋」ですか。たまたま納屋を営倉にした場合のみですか。
それで、みつめあう二人の髪に藁が一、二本くっついているのはロマンよねというところへ話を持って行きたかったのですけどね?
ね?
ところで普段理知的な女性がヒステリックに叫ぶ様ってセクシーだと思われませんか皆様(逃)。

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