『関ヶ原連判状』上下(安部龍太郎/新潮文庫/平成十一年十二月一日)
上裏表紙「徳川家康か、それとも石田三成か。時代が天下分け目の戦いに向けて風雲急を告げつつあった頃、そのどちらにも与せず、第三の道を画策する巨人がいた。足利将軍家の血をひく細川幽斎―――。徳川の脅威にさらされる加賀前田家と提携した幽斎は、和歌の正統を受け継ぐ「古今伝授」を利用し朝廷を巻き込む一大謀略戦を仕掛けた。未曾有のスケールで描き上げる、関ヶ原合戦驚愕の真相!」

解説によると、安部氏の『血の日本史』を一読、病床の隆慶一郎は「この作家に会わせろ」と云ったのだそうな。いいですね、そういうのすきよv
そんなわけで、決戦関ヶ原。
古今伝授というのは古今和歌集の解釈を秘伝めかして伝えるものですが、それに、武が席巻する世に朝廷が存続する意味ほとんどすべてを持たせてしまったというところがとても面白い。すると関ヶ原前夜、朝廷の命綱を握るのは天が下広しと云えども幽斎ただ一人しかおらず、家康vs三成の図式に第三勢力として割り込む余地が生まれるのだ。
切り札にもう一つ、秀吉の密書と云うものがある。初めの内てっきり、「秀頼はわしの子どもではありません」とかそういう内容だと思っていたら、全然違った。
そーゆー話なのですが、ほぼ「刑部!刑部!ぎょーぶーッ!」て、ところしか盛り上がらなかった(笑)。←大谷刑部小輔吉継
えらくイカス御仁でございました。ほとんど出て来ないのですけど。
いろいろ計画に齟齬をきたすようになると、三成が思うの。「太閤殿下は刑部に百万の軍勢の指揮をとらせてみたいと云ったなあ。その時兵站を請け負うのがこの私であれば、その戦に負ける筈がない。本当なら関ヶ原も、刑部が指揮をとり、私は大阪城につめていた筈なのに…」って思うの。思いながら、病とたたかう刑部を切ない目で見たりするわけ。嗚呼、刑部が病におかされたりしなければ…。
三成って根っから官僚だったりするのねとか思った。弱いというのではなくて、考え方が。この三成ステキだったわ…。

近頃の読書は、あたかもパロディ・パスティーシュを主とする同人誌を喜ぶような姿勢で行われているなと思われてならない。「兼続さまが名前だけ出て来たわv」とか「この三成はカッコイイv」とかさ(笑)。
まだ当分、ここから抜け出せない。

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