必要は発明の母

2003年10月29日
夕べワインを飲もうと思ったらコルク抜きがスタンバイOKのまま螺旋を形作る根元でぼっきり折れて果てました。
………………。
やれやれ。買い物リストにコルク抜き1を加えつつ、目下の問題はどうやって詮を抜くかということですよ。
ビンを暖めたタオルでくるんで、首持って胴体部分をベッドの足かなんかに気長にこんこんぶつけていると、振動と膨張した空気のおかげでコルクが上昇してきて、抜けます。
生ぬるい白を飲む気も、そんな悠長なことする気もなかったので、迷わず工具箱を取り出してマイナスドライバーとペンチを駆使し、コルクを破壊し尽くして無事にワインを飲みました。
それにしても、十年もたないものかしら?
コーヒーメーカは壊れるし、コップは割れまくるし、本の表紙は取れるし、最近おかしいなと首をひねることしきり。
母親という人が、「これは私が嫁に来る時持って来た○○」と自慢する道具を使いながら育った身には、十年待たずに壊れる道具は根性がないとしか思えません。
大事に使えばいつまでも…と云いますけれども、コルク抜きなんか大事にって、しょっちゅう使ってやるくらいの扱いしか思いつかんのですが。海風にさらしたとかいうのでなし、金属疲労を招いて根元でポッキリ折れるような扱いはしてないわよ!根性ナシ!

紙の発明は二世紀頃、後漢時代の蔡倫によってというのが通説です。日本へ伝来して来たのは七世紀頃と云われます。以来紙は貴重品として取り扱われて来ました。
紙背文書なんてもんをこんにち、資料として取り上げられるのも、紙が貴重だったことをまざまざと思い起こさせます。仏典なんかとしてまとめられている本の裏っかわを見るとね、私的なお手紙が書いてあったりするわけ。21世紀に生きる我々は、それを興味深い歴史的資料として必死に解読しようと試みるのですな。モノは反故なんですが。
昔の紙というのは「鳥の子」と云って、漉き方に手間暇のかかった非常に丈夫なシロモノです。かすかに光沢のある黄味がかった綺麗な紙です。平安期の紙に書かれた記録を現物そのまま目前に出来るのは、ひとえに漉き紙の質の良さです。現在我々が用いている所謂「紙」は、百年もたないだろうと云われています。
オートメーション化された工場で量産される道具は十年もったら良い方だということなんでしょうねー。無機物に惜しみない愛情をそそぐわたくしとしては、彼らの寿命の短さに一抹の悲哀を覚える今日この頃なのでありました。

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