春頃”es”というビデオを見ました。
「禁断の心理学実験」とかいうアオリがついていました。
心理学者の臨床実験で、被験者を二つのグループに分け、一つを看守、一つを囚人とします。そして衣装を着せ、彼らを監獄セットに放り込むとどうなるかという実験です。
結論を云ってしまうと、あまりに危険なので以降、学会でその実験は禁止されたということでした。
ごっこ遊びを本当にしてしまう恐ろしさが描かれていました。所謂ところの「現実と虚構の区別がつかなくなる」というヤツ。

「洗った猫を電子レンジで乾かそうとしたら死んでしまい、注意書きにそんな項目はなかったと電気会社を訴えたところ、早速その項目が加えられた」
というのは、わたくしと相方の間でかなりお気に入りのジョークですが(趣味悪い)、今年の六月街中で銃を乱射した少年が、「退屈だったからゲームの真似をした」と云ったらしい。それで被害者の遺族はゲーム会社を訴えることにしたとか。”グランド・セフト・オート3”というゲームらしい。
この手の話を聞くたび陰鬱な思いに捕らわれますのことよ。”バイオ・ハザード”と”トゥームレイダース”はやったので、「残酷な描写があります」的注意書きがあったのは知ってますが、「真似をしないで下さい」とはなかった筈なので、日本中を騒がせ、識者が何かっちゃホラーとゲームの悪影響を憂えていた誘拐殺人事件の後も、我が国ではその手の訴訟が起こされていないか未だ決着がついていないかなのだろうと思いました。近頃は書くのかしら。「ゲームと現実をいっしょくたにしないで下さい」

犯罪事件の裁判をニュースで見ると、犯人を裁く側は犯罪の動機を知りたくてたまらないように思われる。取調べで「何故こんなことをしたのか」と繰り返し聞くんだろうなー。「ヒマだったから」「だからって何故こんな酷いことを!」「………ゲームとか漫画で見てぇ〜」「真似をしたのか!」「(そうか?…そうかも)はい」「きみは悪くない。ゲームと漫画が悪い」
…そうか…(遠い目)。
保険金目当てとか三角関係のもつれとかで括られる事件にしても、もっと突っ込んだら当人にも理由なんてわからないのではないかと思う。「金持ちになっていい暮らしがしたかった。あいつが居なければいいと思った」「だからって何故!」「………新聞とかニュースで見たことあったから」「真似をしたのか!」
先例に則っておけば取りあえず無難という考えはありますわな。明文化された事項に従って何事かを定めようとする姿勢。だからって例を作った人間が悪いとは思わないけど。

うーん。なんかねー。キライなの、この手の議論。畢竟、自らはセックスとバイオレンスを描写した虚構物を好むが現実でそんなことしないわよ、と主張したいだけの話ですが。
完璧に報道統制され、衣食住に不自由することの無いコロニーを実験的に作り上げて、…想像はそこで止まってしまう。天国になるのかしら、地獄になるのかしら。私自身には何もすることがない。善悪の区別を知るためには悪に触れなければならない。強姦殺人だの誘拐監禁だの戦争だのがあるという現実を知らなければならないように思われる。楽しいことを知るためには苦しいことも知らなければならない。比較に於いてのみしか物事をはかれないという考え方がそもそも貧しいものなのかもしれないが。
ワシントンとジャン・バルジャンにしたところで、桜の枝を折るのは悪いことだがそれを正直に云ったのが素晴らしく、物を盗むのは悪いことだが後にそれを悔いたのが立派だと云うのだろう? だからと云って嫌いな同級生をベランダから突き落としておいてさめざめと泣きながらそれを悔い、職員室へ自首しても誰も褒めてはくれないだろうね。ワシントンの真似をしました。
アタシ道徳の授業、鳥肌が立つくらいキライでしたわ。今でもやっているのだろうか。

脱水機が回っている時手などを突っ込むと洗濯物などが手などに巻き付く恐れがありますのでしないで下さいと呟いて洗濯していると、文案練った人の苦労がしのばれてならぬ。危険を注意書きにしなかった会社が悪いと訴えて、明文化された途端納得し、以降そんなことはしなくなるという人々が暮らす社会は、ある意味とても平和で理想的だと思う。
ゲームや小説にこう書いたらどうだろう。「これはフィクションであり、現実とは無関係です。登場する一切について、絶対に真似をしない下さい。あなたにとって危険であり、他人にとって迷惑です」。
「危ないからお風呂場に近付いては駄目。コンロに触っては駄目」と云っても通じない幼児を抑制するための手段は、柵を設けてかれらを閉じ込めておくことしかない。痛い目見て体で覚えるまで放っておくのは寛大な上にも寛大で、こちらのリスクが高すぎる処置だ。
絶対教師にだけはなれないと思われてならないわ。いろんなことを知った上でどれの真似をすれば許され、どれを真似たら批難されるのか、そんな難しいこと教えられない。親になるのも怖いと思う。子どもを危険から守りつつ、体罰としつけの境界はどこだろうと悩むなんてノイローゼになりそう。
教師のセクハラや体罰のニュースは、きっと精神を病んでいるのだわ…と薄っすら同情的に見てしまったりする。いや、許されるとは思いませんけど。痴漢は卑劣な犯罪です。暴力行為はなんの解決にもなりません。
わたくし、皆仲良く思いやりと譲り合いの精神で日々を送りたいと願う人間なので、犯罪のニュースには哀しい思いを抱きます。かなしいなーと呟くだけで何をするわけじゃないから無益ですが。

嫌々医者へ通っている。病院はどこも入り口からして不吉な雰囲気が漂っていて恐ろしい。古めかしくて壁のコンクリートもリノリウムの床も灰色がかって見え素っ気無い受付の小窓から診察室をうかがうのが難しいという病院も、明るく新しく清潔で看護婦さんはにこやかで受付にぬいぐるみが置いてあり壁に手書きのポスターが貼ってある病院も、怖いには違いないが後者の方が安心できる自分をたわいないものだと思ってみたりする(そのすべてを満たすのはまさしく小児科だと気付いてはいる)。
だって怖いんだよ医者ー!!うおーッ!!怖いの!!嫌いなの!!
詰め物が取れたとかいう程度の治療ですが、明日も歯医者だと思うと心に暗雲が立ち込める…。いっそ行くたび全身麻酔で意識を奪って欲しいと真剣に思うんですけど…。
でも歯医者さんは先生の格好が重装備って感じで物凄く怖い分、看護婦さんがパステルピンクの服を着ていたりしてちょっと安心。白衣で埋め尽くされた内科よりはナンボかマシだわー(泣)。
まぁ、そんなわけで、考え方が後ろ向きなんですよ、近頃。

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