それは愛。

2003年10月15日
先日読んだ『一夢庵風流記』(隆慶一郎/新潮文庫)がとても面白くて、前田慶次郎という傾奇者の話なのですが、主人公はやはり素敵だvと思っていました。
それ以上に、「慶次郎はすっかりこの直江山城守兼続という男にいかれてしまった。つまり、ぞっこん惚れこんでしまったのである。(本文P129)」という兼続が気になりました。それ以来彼は慶次郎の人生の節目節目に姿を現し、慶次郎は喜んで彼に力を貸し、最終的に彼に付き従って京から米沢へ行き一生を終えるのです。天下のいくさ人、傾奇者として名を馳せ、関白秀吉に勝手のお許しを貰ったほどの男が惚れ込んだという兼続。うーん、渋い。素敵。
『一夢庵風流記』でも十二分にカッコイイんですけど、もっと彼にスポットを当てたものがないかと本屋でぼんやり思ったら、『小説 直江兼続 北の王国』(童門冬二/集英社文庫/1999.8.25)があったので読みました。

この作品自体は小説というより、婉曲なビジネス啓蒙書か地方経営への提言を読んでいるような気になった。たとえば『No2の心構え』『中央からの独立』みたいなタイトルの。
ところどころレポートでもまとめるかのように、要点を箇条書きにした箇所が見受けられるからやもしれぬ。「このとき考えたのは次のようなことだ。○〜 ○〜」とか、「その結論に至るまでの思考過程は以下のようなものである。○〜 ○〜」とか。事柄を漏らさず記述しようという姿勢は小説の作法ではないのではないかとかぼんやり思いましたのことよ。「『直江状』は凛然として爽やかであろう。だがまさしくその爽やかさ故に、慶次郎は敗北を予感した。(P492)」と『一夢庵風流記』に描かれる直江状の偽書の疑いについても言及されていてガッカリしてしまった。いわくつきの偽書『花屋日記』をもとにしても『枯野抄』が芭蕉の臨終を印象的に描き出したように、小説という形式においては切り捨てて構わない事実があるのではないか。芥川当時はあれは信のおける資料と考えられていたんだから事情は違うけどー。
わざわざ「小説」とことわってあるからこだわってみただけです。無知な私は全編興味深く読みました。あからさまに透けて見える教訓はちょっぴりうるさかったです。小説に教訓求めてないんで。
でも、兼続があまりに優秀なので、秀吉を筆頭に石田三成、千利休、伊達政宗、その他諸々の敵味方等がちやほやしたり睨んだりし、挙句は読者までもが「なんでこの人自分で天下を取ろうと思わないんだろ?」と考え始めるのです。だって景勝様、どうしたって影薄いんだもんさー。
そこに配慮してか、単に素晴らしい兼続の主人だからもっと素晴らしいのだという曖昧な論法は用いず、景勝自身の偉大さを書こうとしている点に好感を持ちました。これから合戦だというのに紅葉が綺麗だと感動できる感受性、主を差し置いて優遇される部下へ示す度量の広い態度とか、優しさとか、インパクトはないけどそこを無視されたら本当に「なんで兼続、この人に仕えているのだろ?」と思いかねないところに配慮している。そういうのって大事だと思ったんだもん!
上杉謙信の跡継ぎで、しかも部下に兼続みたいな人が居たら、普通いじけてしまうと思うんですが、景勝様はどんなことになっても爽やかに笑っているイメージが消えない偉い人なのでした。

ところで、今ちょっと該当箇所を見つけられないのですが、秀吉が三成と「兼続の兜の前立てを知っているか」という話をするところがあるんです。「『愛』の一文字だ。他の者がそんなものをつけたらキザで嫌味だ。それをあの男がかぶるとなんともいえない味がでる」というようなことを云うのです。それで、戦場に兼続の兜が現れ、それを見ると、切ないような壮絶なような気分になって戦意が失われる、みたいなことを。
へー、と思っていたら、巻末に年譜と写真がありまして、見ました、愛の前立て。
のけぞった。兜の前のところにね!顔より大きい『愛』の一文字が堂々と乗っかっているの!前立てってこういうものなの?!これは兜としていいの?!
確かにこれが殺伐とした戦場に颯爽と現れたら、敵の戦意は喪失するかもしれぬ…。一瞬ギョッとしませんか…そうでもないのか…なんで『愛』なんだろう…(悩)。
呆然と眺めていて、そういえば米沢の上杉祭りで愛の兜を見たという話を読んだ覚えがあるようなと考えて、それって多分「活字倶楽部」かなんかのミラージュツアー・レポートなんですよ。あっちの直江さんは信綱さんじゃなかったっけ。兼続さんじゃないよね。下の名前覚えてなかったんですが(現実虚構を問わず人の名前を覚えない)。
直江の信綱さんは、他人の刃傷事件の巻き添えを喰って死んだ。だから信綱の妻お船を娶り、樋口与六として生まれた男は直江兼続になった、みたいに書かれていて、……人生いろいろ、小説家の創造力想像力は偉大だ、とすると"御館の乱"の時に影虎は死んだようだがそのとき信綱さんって死んでないか?
とか、考えていたら、ミラージュを読みたくなった。ハードカバーの方。

あと、どうにも石田三成が不審なのですよー。兼続と血の契りを交わした義兄弟にしては何故そんなことをするのーと叫ぶようなことをいっぱいしてくれる。兼続が三成と友達でさえなければ上杉家は領地を取られなかったんじゃないかとかうらんでみた。なんであの人と友達なの、兼続ー。
というわけで、今度は三成の話を読まねばなるまい。

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