(神坂次郎/小学館/2002.10.20)
オビ「著者の緻密な取材による江戸の世相史  岩松家は、新田家、足利家という武家の二大名門の末裔だが、徳川家康の勘気にふれ、『大名格ながら石高わずか百二十石』という不遇をかこっていた。岩松家幕末の当主・満次郎俊純の波乱万丈の人生を、当時の世相とともに描く痛快時代小説。」

ひつじさんが読んでらしたのを見て、んん?と思ったら、『元禄御畳奉行の日記』(中公新書/1984.9.25)の筆者だわ。あれは『鸚鵡籠中記』だったので、また面白い日記の発掘なのかなと思ったらちょこっと違った。参考文献リストが付いていないのでわかりませんけど多分俊純の日記を下敷きにしてるんじゃないかしらん。
由緒正しき血統のお家柄が石高百二十石という暮らし、そのギャップがとっても面白い。ここにスパイスを添えるのが「新田猫」と呼ばれる、岩松当主の描く猫絵。養蚕の盛んな上州で、鼠除けに効果絶大という新田猫はありがたがられて需要引きもきらず。百姓や商人がこれを求めに来る。で、描いてやってお礼金をもらって百二十石の足しにするという暮らし(笑)。
岩松家当主はほとんど信仰の対象になってるように思ったわ。何しろ名門の末裔というので、疱瘡神を追い出すために子どもを踏んでくれと頼まれたり、当主の履き古し草履を頭に載せたら猿憑きが治ったとか、その手の逸話が沢山あるみたい。しかしそんなことばかりしているわけでもなく、政治向きのことやらお裁きやらもしなければならないし、結構忙しくて大変なの。何もかも全部一手に引き受けてるみたい。
構成がいいなーと思ったんだけど、俊純を中心にして、側役めいた人々が話してくれる面白いエピソードが綴られ、その中で俊純が成長して行くの。風説だけ並べるのはありがちかもしれないけれど、良い器に盛ったものだと思って。でも途中からちょっと違って来たなぁ。
資料紹介と創作の合間みたいになっていたので、どっちかにしちゃえばいいのにと思った。どちらかと云えば後者にしてしまって欲しかったな。猫絵の殿様のお仕事と暮らし、みたいなところを虚実入り混ぜて面白おかしく。前半「お耳役藤蔵」形式で、そこへ猫絵のお話を挟みこんで行ったらすごく面白いと思うのよ〜v
いや、でも十分面白かった。川路さんの話が今丁度、ペリーやらプチャーチンやらが来てそれとの条約締結丁々発止なんですけど、川路さんが上司とプチャーチンの板ばさみになって苦しんでいる頃、猫絵の殿様は絵を描いていたのかと思うとおかしい。それも生活のためのお仕事だというのだから、世の中にはいろいろな人が居るものなのね。
誰か俊純さんを主人公にして小説書かないかなぁ。供回りの者も個性的でとっても面白いと思うのだが。読みたいな。

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