『周公旦』

2003年7月29日
(酒見賢一/文春文庫/2003.10.10)
裏表紙紹介文「太公望と並ぶ周王朝建国の功労者にして、孔子が夢にまで見たという至高の聖人に、著者独特の大胆な解釈で迫る。殷を滅ぼし、周を全盛に導いた周公旦の『礼』の力とは何か? 果たして彼は政治家なのか、それともシャーマン? そして亡命先の蛮夷の国・楚での冒険行の謎とは。無類の面白さの中国古代小説。   解説・末國善己」

初出が平成十一年なので、『陋巷に在り』を書く調査の過程で興味を持たれたのかなと。
『周礼』を編纂して礼の整備をはかった周公旦の話だから「礼」が肝なんだけど、『陋巷に在り』で礼についてたっぷり読んだ後だと、薄味っぽく感じられる。淡淡と云うか。編纂しようとしているところなのだから当然と云えば当たり前なのでしょうが。
楚に赴いて南方の礼も目の当たりにし…という部分も、子蓉と顔回の戦いを読んだ後だと納得できて終わり。
でも周公の新しい礼は面白かったv 周はまだこの頃の王朝殷から見れば蛮族で、故に文字を綴ることは特権的なことなのです。支配階級に独占されているというわけじゃなくて、宣戦布告文やら祭りの祈りの文の草案を練ること自体が呪術なので、専門職の知識ということになるのかな。周公はそれをよくしたので人々に畏れられたと。言霊を操るってやつですか。
だから武王や成王が病気になると、祖霊やなんかに祈りを捧げるわけだけど、文章を読み上げるのね。それ自体に力があれば願いは聞き入れられる。…その辺の理屈が面白いなと思って。こうやって書いていると何が面白いのかナゾですが(笑)。
しかし成王がアホです。小さい頃は「おぢうえ、おぢうえv」「これをおぢうえにも見せて差し上げたい」とか云っていたので「まvかわいいv」と愛でておったのですが、ちょっと大きくなったら早速反抗し始め、愚かなことに周公を追い払ってしまいました。そして自分で追っ払っておいて政治が上手く行かなくなると「叔父上は私を捨てて逃げたのだ」とか云いやがってました。馬鹿かッ!
馬鹿アホ間抜けちっとは苦労しやがれぼんぼんめ、とか思う様罵ってました。気付いて後悔するのが遅いのよね。
さっくり読めて面白かったです。…酒見さんのあとがきが読みたい。エッセイ出さないかなぁ。

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