日本史
2003年7月26日『官僚川路聖謨の生涯』(佐藤雅美/文藝文庫/2000.12.10)
裏表紙紹介文「頼むは己の才知のみ―――。徒士の子として生まれながら、底辺から這い上がり、昇りうる最高の地位にまで立身を果たした幕末官僚・川路聖謨。激動の時代は才能を必要とし、それに厳しく自己を律することで応えた彼は、まさに江戸期を通じて最高の官僚だった。幕末外交史上に燦然とその名を残した男の波瀾の人生を描いた歴史長篇。」
を、途中まで読みました。なんかすごくややこしいのだものッ。
*元文2(1737)・十代将軍家治、老中田沼意次。
*宝暦5(1755)・美濃国宝暦騒動駕篭訴断行。8年、金森家改易。
*宝暦13(1763)・『退屈姫君伝』めだか姫御輿入。
・平賀源内『根無草 前』(二世瀬川菊之丞[路考茶を流行らせた女形]に捧げられた戯作)刊。
*明和9→安永元(1772年11月)「年号は安く永しと変われども諸色高直いまにめいわ九」
*天明2(1782)〜天明の大飢饉
*天明6(1786)・家治死、田沼失脚。
・この年学問吟味主席及第の大田南畝は五世団十郎(四世幸四郎に中村座を追われ初代仲蔵の計らいで安永七[1776]年森田座に出勤)贔屓。
*天明7(1782)・十一代将軍家斉、老中松平定信。
・鬼平、火付盗賊改に就任。
*天明8→寛政元(1789年1月)・棄捐令
・『損料屋喜八郎始末控え』「騙り御前」尊号一件。
・寛政の改革により洒落本の山東京伝が手鎖50日。
*寛政5(1793)・定信、老中を退く。
*享和元(1801)・弥吉、生まれる。
*文政6(1823)・西丸騒動(西丸書院番士松平外記乱心事件)。
*文政8(1825)・家治実父一橋治済が准大臣の宣下。
*天保3(1832)・鼠小僧現行犯逮捕。死罪。
*天保4(1833)〜天保の大飢饉
*天保5(1834)・水野忠邦、勝手掛老中に就任。
*天保6(1835)・仙石騒動(但馬出石藩御家騒動)。
・弥吉、勘定吟味役に抜擢。
*天保8(1837)・家治隠居、十二代将軍家慶。
・大塩平八郎の乱。モリソン号事件(アメリカ船浦賀へ)。
・川路弥吉→川路三左衛門(聖謨)へ名を改める。
*天保9(1838)・川路、おさとさんと祝言。
*天保10(1839)・蛮社の獄(渡辺崋山、高野長英ら処断)。
・水野忠邦、老中首座兼勝手掛老中に昇進。
*天保11(1840)・9年の佐渡一揆落着。川路、佐渡奉行に任命(日記『島根のすさみ』)。
・遠山の金さん、北町奉行に任命。
・アヘン戦争始まる。
*天保12(1841)・大御所家斉死去。
・天保の改革始まる。
・鳥居耀蔵、南町奉行に任命。
・十月、堺町中村座から出火。葺屋町市村座類焼。劇場普請差止め。金さんの口添えで浅草に代替地。
・七世団十郎(自殺した八世の父)が奢侈で江戸かまい
*天保13(1842)・木挽町森田座にも転居の下命。猿若町に江戸三座が揃い芝居町を形成。
と、ここまで読んだの。なんか違うのが混ざってる? 気にしないで下さい(笑)。
川路さんのサクセス・ストーリーを追っているのですが、我洛氏が好みそうな人だと思った。報われなさそうな就職活動を経、誠実な仕事振りで取り立てられ、めきめき頭角を現し、成功の階段をのぼりかけたところ。今、手がかかった所なの!
さて、続き読もう。
裏表紙紹介文「頼むは己の才知のみ―――。徒士の子として生まれながら、底辺から這い上がり、昇りうる最高の地位にまで立身を果たした幕末官僚・川路聖謨。激動の時代は才能を必要とし、それに厳しく自己を律することで応えた彼は、まさに江戸期を通じて最高の官僚だった。幕末外交史上に燦然とその名を残した男の波瀾の人生を描いた歴史長篇。」
を、途中まで読みました。なんかすごくややこしいのだものッ。
*元文2(1737)・十代将軍家治、老中田沼意次。
*宝暦5(1755)・美濃国宝暦騒動駕篭訴断行。8年、金森家改易。
*宝暦13(1763)・『退屈姫君伝』めだか姫御輿入。
・平賀源内『根無草 前』(二世瀬川菊之丞[路考茶を流行らせた女形]に捧げられた戯作)刊。
*明和9→安永元(1772年11月)「年号は安く永しと変われども諸色高直いまにめいわ九」
*天明2(1782)〜天明の大飢饉
*天明6(1786)・家治死、田沼失脚。
・この年学問吟味主席及第の大田南畝は五世団十郎(四世幸四郎に中村座を追われ初代仲蔵の計らいで安永七[1776]年森田座に出勤)贔屓。
*天明7(1782)・十一代将軍家斉、老中松平定信。
・鬼平、火付盗賊改に就任。
*天明8→寛政元(1789年1月)・棄捐令
・『損料屋喜八郎始末控え』「騙り御前」尊号一件。
・寛政の改革により洒落本の山東京伝が手鎖50日。
*寛政5(1793)・定信、老中を退く。
*享和元(1801)・弥吉、生まれる。
*文政6(1823)・西丸騒動(西丸書院番士松平外記乱心事件)。
*文政8(1825)・家治実父一橋治済が准大臣の宣下。
*天保3(1832)・鼠小僧現行犯逮捕。死罪。
*天保4(1833)〜天保の大飢饉
*天保5(1834)・水野忠邦、勝手掛老中に就任。
*天保6(1835)・仙石騒動(但馬出石藩御家騒動)。
・弥吉、勘定吟味役に抜擢。
*天保8(1837)・家治隠居、十二代将軍家慶。
・大塩平八郎の乱。モリソン号事件(アメリカ船浦賀へ)。
・川路弥吉→川路三左衛門(聖謨)へ名を改める。
*天保9(1838)・川路、おさとさんと祝言。
*天保10(1839)・蛮社の獄(渡辺崋山、高野長英ら処断)。
・水野忠邦、老中首座兼勝手掛老中に昇進。
*天保11(1840)・9年の佐渡一揆落着。川路、佐渡奉行に任命(日記『島根のすさみ』)。
・遠山の金さん、北町奉行に任命。
・アヘン戦争始まる。
*天保12(1841)・大御所家斉死去。
・天保の改革始まる。
・鳥居耀蔵、南町奉行に任命。
・十月、堺町中村座から出火。葺屋町市村座類焼。劇場普請差止め。金さんの口添えで浅草に代替地。
・七世団十郎(自殺した八世の父)が奢侈で江戸かまい
*天保13(1842)・木挽町森田座にも転居の下命。猿若町に江戸三座が揃い芝居町を形成。
と、ここまで読んだの。なんか違うのが混ざってる? 気にしないで下さい(笑)。
川路さんのサクセス・ストーリーを追っているのですが、我洛氏が好みそうな人だと思った。報われなさそうな就職活動を経、誠実な仕事振りで取り立てられ、めきめき頭角を現し、成功の階段をのぼりかけたところ。今、手がかかった所なの!
さて、続き読もう。
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