飮酒

2003年6月23日
余閑居寡歡、兼比夜已長。偶有名酒、無夕不飮。
顧影獨盡、忽焉復醉。既醉之後、輒題數句自娯。
紙墨遂多、辭無詮次。聊自書之、以爲歡笑爾。

きーもーちーわーるーいー。
…二日酔いでなく、肩がこって頭が重い。分解掃除して油さしたい、うう゛。
昔から滅茶苦茶肩こりなのですが、そしていろいろ試してみたのですが、やはり人間の手によるマッサージが一番効くような気がします。うぐぅ、誰か肩もみして…絶対背中に何か憑いてる。お払いに行った方が良いやもしれぬ。
夕べはパソコンで遊んでいたのですけど、使ってなかったソフトをがしがしアンインストールしたらしい。絶対使わないショートカットとかもばんばん捨てたモヨウ。
わたしじゃない人が(笑)。←アルコール一定量を超えると出現する別人格が
…なんか大事なファイルとか捨てていないことを祈るわ…。…それよりきっとまたアチコチでおかしな書き込みしているのだろう…関係者各位様に謝罪、平に平にご容赦を…愚か者に哀れみを…(痛)。
サイトのプロバイダがトクトクなんですけど、あそこってCGIが使えるのですよ。それで掲示板を一から自分で組んでみたくてー(無謀)。一生懸命勉強している過程でいろいろ捨てたり入れたり叫んだり飲んだくれたり(…)していたのですがとてもじゃないけど理解できない(涙)。
動作確認を自ぱそ内で出来るようにPear?Peal?なんかそんなやつを入れてみて簡単な表示から始めてみたりとかでそれはHTMLのおべんきょをした時と同じ所からスタートなわけなのだが…。
もうやめてもいいですか良くわかりません掲示板なんかレンタルで十分です可愛いし使い心地は良いし何をトチ狂って今更そんなことやってみようと思ったのさアタシ。
…ちくしょう。しかし悔しいからもう少し本を買って足掻いてみるわ。三年後くらいに出現したら褒めてやって下さい。なんでこんなに難しいのかなぶつぶつ…。
じゃばすくりぷとで雪を降らせたいという野望もなかなか実現できないし。雪を降らせられたら羽も降らせてみたかったのに。
なんというか私、本当にしつこいので、模倣から始めて結果を出した後、ブラックボックスの中身を解体して理解しないと気がすまないんです(笑)。

………ああ、そーいえば、『捜査官ケイト 愚か者の町』(ローリー・キング/森沢麻里訳/集英社文庫/1995.12.20)を読了。ローリー・キング本領発揮!てカンジでとっても良かった。こういうの書きたいよね、わかるわかる。もっとストレートに書きたくてメアリ・ラッセル(シャーロック・ホームズの愛弟子シリーズの主人公)を生み出したのではないかと思えてならない。
それがしかしなんと云うのか…こう…。ローリー・キングの小説って妥協しない絶望を書くのに、真っ暗にはならないの。そこが不思議でとても好き。ノン・シリーズの『奥津城』も読んだけど、あれもすごかった。
ラッセル・シリーズの公式サイトは英語だから読めないのだけれど、それの日本語版”シャーロック・ホームズの愛弟子ホームページ”、ここのラッセリアン・パスティーシュがオイシイのです。ホームズ視点とか読めて身悶えです。読んで読んで♪
それでジェフリー・ディーヴァー、ライム・シリーズの新刊『石の猿』を手に入れたので読もうと思ったら、舞台がケイトとかぶるんです。あと人名も。ケイトをもう少し薄れさせてから読まないともったいないわ。しかしこれ、表紙の猿が怖いよ(怯)。しかも何故か販促のポップらしきものが挟まっていた。ナニ?オマケ?怖いから欲しくなかった(涙)。
えーっとそれで、上記ホームズは還暦に近い年齢でナチュラルに「僕」と云います。わたくしの知っているお爺様方も概ね一人称が「僕」だなぁ。眼光鋭い猛禽類系の方から陽だまりのようなほほえみを絶やさない方まで皆。公式の場では「私」だけど。とか思っていたのよね。
…みんな虫取り網を手に籠を肩にかけてそこらを走り回っているような心根の方々だからかしらん(純粋だという意味だ)。それで威厳が損なわれることはない。
日本語教員養成課程を取っていた時にやったんですが、英語圏の人が日本語を学ぶ際にまず戸惑うのが一人称らしいです。彼らにとって「I」は対人や状況に揺さぶられることなく厳然としてここに在る「I」なのに、日本語で思考しようと考えた途端、それがおかしくなるんだって。
米原万里さんのエッセイを読んでいた時もそんなようなことが書いてあったな。逆も戸惑いますよね。我輩は猫であるとアイ・アム・ア・キャットはなんかチガウ。…ダレン・シャンのラーテン・クレプスリーは「我輩」なんですけど、あれはやっぱ原文「I」なんだろうか。翻訳家さんに乾杯。
ハードボイルド小説の翻訳家は、まず一人称を何にするかで迷うらしい。全部通して読んで、そのキャラクターに当てはまるのは「私」なのか「俺」なのか「僕」なのか、吟味するんだって。ハードボイルドは一人称が命だものな!(なんかそんな感じがするのだ)
メアリ・ラッセルはミセス・ホームズになってからもミズ・ラッセルと呼ばれることを好むし、ホームズは彼女をラッセルと呼び、彼女は彼をホームズと呼ぶ。キャタリーナ・セシリア・マーティネリはケーシーという愛称を卒業したのだと云い、親しい相手にはケイトと呼ばせる。リンカーン・ライムは名を呼ぶことを常とするが、相手を認めた時、姓で呼ぶようになる。
二言語の橋渡しをする魔術師さんたちは、そーゆーのを取りこぼさないで見せてくれるんだって信じたい。自分でやれば良いのでしょうけれどねぇ。一人の人間の力には限界があるから世の中は分業になっているのではないのか?
テキスト読解を真剣に進めようとするとどうしても、[本文][訳]の対比だけ示されても欲求不満になるから[注釈]を付けざるを得ない。では[本文][注釈]だけで良いかと云うと、これもまた隙間が残って気持ちが悪いのだ。
「いひおほせて何かある」を暴きたてようとする野暮なわたくしの日常でございます。

さて。なんの話なんだ?(笑)
…シーフォートの七部が…読んでたら良くわからなくなって書いてみたらもっとわからなくなってあらあらムカツク(泣)。誰かタスケテー。夕べとうとう誰かに泣きついてみようと、またもや酔っ払った勢いで考えたようなのですが、…対話は私の方法論ではないのだったわ。いつもそう思うじゃないかよ阿呆ー。強気とハッタリで切り結ぶのが常にわたくしの流儀でございます。ああ、ちくしょう、トリヴァー。どうしてお前を憎ませてくれないんだ?!(まぁそういうことです)
真剣になるからいけないのよね、ええ、知ってます。だって暇だったんだもん(ヒマだったんだ?!)。…気分がそっち向きなんだもん最近。しかしなんでこんなことで悩まないといけないんだろう。間違ってる。
日記ネタがどうしてもサイトに絡むので、ホームに”魚や”を設定してみます、今更。ほぉら、こんなことが出来るのよ、相方。貴女もやってみなさいな(呼びかけ)。

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